DNAと運命論

『DNAが自分に何かを命令してるから生きてる。』
それを考えてると、生きてる事がつまらなくなる事がある。
細胞の新陳代謝、ホルモン・臓器運動の調節
そして子孫を残すプログラムまでDNAが関わっている。
動物の原点で言うなら
DNAが子孫を残せと命令してるのかもしれない。
また、人間には知恵があるからもっと複雑になる。

生活の糧を得るために、労働を提供し賃金を得、食べる。
食べないと死んでしまうしさ。
そんなこと考えなくても、健康だったらお腹がすく。
病気でも、お腹はすいたりするんだしね…。
その…食べるための、労働について考える時に
適職・適正・自己実現など
様々な事を考えて仕事を探したり、勉学に励んだりすると私は思う。
『自分には何が向いてるんだろう?』なんて考える時
もし、DNAの指令があるんだったら、DNAに任せたいと思ったりする。
でも、DNAの指令なんて言葉だけで実感がないんだな
.....悲しい事に私は。
DNAに任せて進むって、運命論者になってるのかもしれないって思う。
人がどう生きるのかの指令が
生まれた段階で決まってたら くやしいさ!ほんとうに、くやしい!
自分で動かしたい。
しかしながら、決まってるのかなぁ…なんて気弱になってしまう。
DNAのプログラム中で生まれてくる日も決まってたら
死ぬ日も決まってるなんて
ちゃんちゃらおかしい気がする。
生きてるコト事態全部しくまれた、DNAのプログラムだったら
神様が沢山した、いたずらの様に思ってしまう。
それに動かされてるなんて、信じたくないや。
でも、DNAは何か命令してるんだな。くやしいことに…。

 『時の流れに身を任せて生きる。』
歌にもあるけれど、いまいちピンとこない。
流されるまま、流れるままに生きる。
『じゃあ、時が流れてないのはいつなのさ!』
そんな心の叫びがあたりするんだな。
しかし、時は流れてるものね。。
『時は過ぎてるんだろうけれど、心の時は止まったままの時は?』
それも流れの内と言われると
ますますあたまがへのへのもへじになる。
こんがらかって解らない。
時の捕らえ方の違いなんだろうけれどね・・
頭が熱くなって、ごっちゃにしてしまうんだな(苦笑)
『自然体』でいたら良いと聞いたりするけれど
そのままじゃ、くたばる時だってあるしさ。
臨機応変が私には、とても難しい。

 『人の幸せってなんだろうな?』
考えてると頭が、禿げそうになる。(でも、まだ、禿げないけれどさ(笑))
良い成績をとったらとったで、プレッシャーに押される。
悪い成績だったらまたそれで、しんどい。
どっちもどっちなんだけれど
さっきの話しにもどってさ
時の流れに身を任せて考えたらすこし楽になるかもしれないかな♪
「一時が万事塞翁が馬」
この諺が物語るのもまた事実。
これもDNAしくんでる事なのか?
いやはや運命なのか?
しかしながら
「幸せと思ったら幸せ」と言ういいかげんな定規しかないんだな(笑)

 『情報がDNAにすべて含まれてて
DNAが作用する結果が事実を引き起こす。』
しかし、DNAは偶然にも左右されている。
両親のDNAの中から壮絶な、めぐり合わせ。
『ジャンケン合戦』と言うべきものがあるような気がする。
そのなかで『DNAの指令』『時の流れ』『運』
その結果『幸せ』が
からみあって生きてるしさ。
幸せは人によって違うけれどさ。
自分の定規で幸せの値を決めるしかないから、
幸せは自己中心的な要素もあると私は思う。
でも、みんな幸せな事もあるしね♪
『逃げてたら、人に左右されてたら…粕だけがのこるよ?』と
忠告してくれた人がいる。
この一言で、随分と考えて助かった事がある。
でも、逃げるのも大切。
『逃げるのが上手にならないと世渡りできない』と祖母は忠告してくれた。
自分の意思で逃げる事が上手にならないといけない世の中。
『逃げる』と言うより『上手に整理する』とも言うけれど
DNAから形成されている性格もあるから
やっぱりDNAから逃げれないのかなぁ。

つらつらと述べたけれど
DNAは死を知ってるなんて言う『運命論』
自分で変えれる範囲で頑張ってみて決まる『運命論』
両方が重なり合ってできるのが『運命』と考えたら難しいなぁ。
素直に『運命』は『切り開くもの』と考えたらよかったのだけれど
DNAにこだわってみたかったのさ(笑)