愛すべき出会い

「生きることは、つらいこと。」
「だから楽しみを探して生きるし、目標を作ってそれに向かうのよ」
「生きるために生きる」
「生きるのはしんどいけれど、生きているのよ」

何気もない普通の言葉かもしれない。
でもこれは、癌になってしまいモルヒネを投与されている仕事先の奥様から
電話がかかってきて言われた言葉。
重い言葉です。

私にとって愛すべき方であり、尊敬する方に言われると珠玉にも感じる。
また、他の人からすれば他人だけれど、私には現実だから。

「生きるために 生きる」
難しいテーマ。昔、何度となく考えた事がある。
そう、私は考えすぎでエンジンが空回りした人生を送ってきた。
考えすぎてつぶれてしまった。

やってみなきゃわからない〜!
目前のことを手際よく対処して、将来を漠然と考えておく。
それだけでよかったのに、昔は何であんなに欲張りだったのだろうな。
今は、こそっと欲張りです^^

とりあえずは、10年先の目標を決めるくらいがいいのかもしれない。
大きな目標は、うっすら見える程度でいいのだろうな。
「こんなんだったらいいな〜」と思うのが私は楽である。
老後まで考え、旦那ちゃんか私が、どっちが先に亡くなるか・・
これを結婚当初考えすぎて、ノイローゼになったことがある…..orz

このごろの私の考え方は、ちょっと変わってきた。
昔悩んでいた答えが、つらつらと答えとして自分のなかに湧き上がってきた感じ。
気を許すと自分が倒れそうな気がする。
人と話していてくらくらしてしまう。
その原因は、「考えすぎて自分が苦しんでいる結果」だと思っている。

融通をきかせすぎないことも大切。
融通をきかすのは、しんどい。認められたいと思うから私はそうしていた。
しかし、ちょっとおとぼけでも誰も怒らない。

致命的なミスは避けるようにもっていくのが吉だと思うけれど
しでかした時は、後から誠意をもって対処できればそれでいい。
そして対処できなくても、人間死ぬことはない。

塾で英語先生をしていて思うのが、大事なところは書けている。
しかし、初歩的なミスの方がかなり多い。
融通もそれと同じかな? とこのごろ思う。
自分のキャラクターを素直に認めてあげると楽になったかな。

「何かしてもらいたいとき」は、具体的に「何をして欲しいか」考える。
そうすることによって、自分の欲求を自分に伝えることができる感じ。
自分も楽になっている。

そして人の面倒を自分のことよりみちゃうのは、その方が楽だから逃避していることを自覚する。
自分の問題を解決しないと、キャパは狭まるのにしょいこむと大変。

信じられる人に出会わないと、人を信じることはできない。
そして、自分を信ないことは、人にも信じてもらえないと思う。

多くを人に求めない。
これを実行しだしてから、楽になってきた。
これは、特にこのごろ肝に銘じている。
生徒に多くを求めても、生徒のキャパによって違う。
そして、私と私でない人は、なにもかも違う人格だから。

そして、嘘を言いそうになるときは「聞かれたら言う。」にしている。
「ウソ」は契約違反だと思っている。
「ウソも方便」を使うなら、「ウソ」は少ない方がいい。
皆に同じ「ウソ」を言うことが大切だと思う。そうすれば墓穴を掘るのも少ない。
こっちからあまり、情報を言わないようにしている。
ちょっと無口な人間になってきた。聞き役の人間になってきた。
言えば責任をとらないといけないから。
私のキャパでは、責任を取るというのがあまり得意ではない。

最終兵器は「疲れたから 寝る!!!」
これが一番。
これが一番効果的で、最短の解決の早道。
寝ている間に脳が考え整理して、うやむやにしてくれる。(笑)

とても太った人に「太いね!」とは言えない。
ちょっと小太りな人に「太いね〜!」とは言える。
度が過ぎると、何も言えないのが人間なのだ。
だから、人から「〜だねぇ!」と言われてショックを受ける時もあるけれど
まだ、許容範囲だから言ってもらえるんだなーと思うと腹も立たない。
逆にショックを受け相手にきちんと伝わると、次からは少し気を使ってくれるだろう。
だから、意思表示をきちんとしてショックを伝えるのも自分の義務だ。
冗談めいて「あー傷ついた!」と口に出すだけで自分も楽になるさ。

私は認識していなかったのだけれど
ここ最近「癒し系」だと言われることが増えた。
(いやらし系かもw)
ちょうど、上記の言葉に言葉として自分の中で認識するようになってからかな。
トラブルもすごく減った。可愛がってもらえるようになり、大切にされるようになり。
なにより寂しいと思うことがとても減った。
時間がなく、てんてこ舞いをしていても「なんとかなるさ〜」と思えば
何とかなっていきた。

美しいものを見て、美しいと感じる心を失わないこと。
自然を愛する気持ちが、心にあること。
人の幸せを、心から喜べること。喜び合えること。

そんな自然な素直な感情を出せるようになってから
人の事は大して気にならなくなった。自分のことが気になるようになった。
ある意味自己中心的で、自己陶酔なのだけれど
私は「人を想う。」
と言う、人間という動物がコミュニケーションによって培えることを大切にしている。
星の数ほどある人類の中で、ひょんな縁で巡り合い
私が実際に、ネットでリアルも交流できた人々との縁を大切にしたいと思っている。
時に崩れてしまう時もあるけれど、それは星が崩壊してしまうのと同じ。
雨が土に吸い込まれるのと同じように、次への再生だと想う。
その人は新たな出会いがあるし、私も新たな出会いが次にある。
そして去っていく人を求めても、相手が負担だし私も考えるだけ疲れてしまう。
人の心は、その人の内面にあるのだもの。
家庭環境や、今、その人が置かれている環境を考えると
理解を超えたところがあるとのだと感じている。

1度終った関係は、舞台の幕が閉じるのと同じで
もう一度幕があがっても、第二幕なのだ。
同じ舞台は二度とない。役者も人間だし、観客も人間だもの。
同じ映画でも、自分の置かれた環境によって感動は違う。
恋人同士でも、何度も幕の上げ下げがあると思う。結婚してもそう。

私は、最後のカーテンコールがどんなものか楽しみにしている。
カーテンコールは老後かもしれない、この世から去ることかもしない。
どんなカーテンコールがあるのかわからないけれどね^^

平凡な毎日でも気がつくとミクロの世界にも小さな喜びがある。
この前は、生徒が塾の植木鉢に団子虫をこっそり入れてた。
それが卵を産んで、小さい団子虫の赤ちゃんが「いぱーーい!」
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!
こんな気持ちになった(笑)

ま、人間関係が一番むずかしいと思う。
一番、その問題で私は苦しんだ。
種々の問題も、人間関係の延長にあるような感じがする。

愛すべき出会いがたくさんありますように。

(2005.6.10)


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