平常心

平常心を保つのはむずかしい。
(平常心:ふだんのように行動できる、落ち着いた気持ち)

そして、心を無にするというのもむずかしい。
(無:何もないこと、存在しないこと)

私は雑多な念にふり回されがちである。
欲張りだからだと、自分で思っている。
だから、個人的念仏をとなえることが多い。
「言わず 見ざる 聞かざる」
これで結構楽になる。
大好きな言葉。

チクチクとイヤミを言う人間を「小骨が多い」というこらしい。
魚を食べているときに「うきーーーー!」と腹立たしい。
チクチクとイヤミを言う人はまさにコレ。
時間もかかるし、味わうまえに萎えてしまう。
しかも、適当に小骨をとっていると喉にささるというオマケつき。
男以上に、オンナで「小骨が多い」のはますますいただけない。
女性の身のある私が、そう感じる。特に男好きと言うわけでもない。

思想・私意・判断力・行動力とは男性の方がバカで、冷静な傾向が強いと私は思うんだ。
しかしタガが外れると、現実感が少ないのでコワイものがある。
ま、どっちもどっちだろうな。
それぞれの性の特性をいかして、うまーいことすれば人生は楽しいと思う。
性は神様が決めるから、文句も言えない。
「自分が楽しいなー」と思える足跡を、どう残すか。
50歳を過ぎると、もうリタイヤがぶらさがってくる。
その間に残した足跡で、その後の老後があるのだろうと思う。
「あの時は・・・」と振り返ることが多くないようにしたいと思う。

エサ場には、エサ場のルールがあるように
どんなところでも、社会のルールがある。
ルールを守り、嘘を言わず、誠心誠意接したら人間関係はあまりこじれない。
時間を守らない。嘘をつく。妬む。嫉む。人として間違うこと。
こんなことをしなければ、大概では大丈夫だと思っている。


人が安心して喋っていると、チクチク刺される。
「見ざる 言わざる 聞かざる」モードにすると
チクチクと小骨で刺されない。刺されていても無視できる。
そして女性は「着飾る」とかなりストレスも軽減するのかもしれない。

真の達人は手の内を明かさない。
その道の一流の人たちは
「自分がわかっていればいい。」的要素が強いと思う。
男社会では、そんなことが多いと思う。
私は数人でしかないけれど、そんな方とちょっと接してそう感じた。
そして自分で納得できるところま終え、報告すると
「まだまだ甘い。」
と次の糸口を教える。しかし全て教えない。考える余地をくれる。
こんな人たちに対しては、憎らしいと言う気持ちはおこらない。
むしろ、不思議な満足感に包まれる。
小骨人間と雲泥の差だ。

楽しく生きるために、言葉を使う。
「チクチクいやみ」は「毒舌」のみで「ワルクチ」。
かわいくないし、著しく不快のみを残す。
小骨の多い人と話すときは「小骨小骨・・・」と思いながら
ちょっと気分をそらしてみたり
「そうですねー(思っていないけど)」と自分で再確認しながら話をする。
「見ざる 言わざる 聞かざる」と頭の中で念仏を唱えるのがよろし。
実際に仲良くしている個人的な友達にはそんな人は1人もいない。
しかし、実生活をしていて子供がいないとなると、チクチクと言われることも。
「少子化の時代なのに、生まないのはなんとも・・・」的な話になると
「お褒めいただきありがとうございます」(心の中)
と思っていると楽になるものだ。
そんな相手には、「何も言わない 何も聞かない」
まぁ・・目の前にいるのだから「見ない」はちょっと横においておく。

「まぁぼちぼち。」
この言葉も好き。
あがいても答えはでないし、時間が解決してくれる。
「まぁ、ぼちぼち。」
自分の力量を考えると、そんなにできるわけはないと。
私は、スタミナ不足の人間だからとくに重要だと思っている。
エンジン全開ギリギリで突っ走ると、ガタがくる。
だから、7割程度を意識するようにしている。
・・それでも超えてしまうときが多い。
「根っからの頑張り屋」な私は、どうも頑張ることが好き。
逆に言うと、目標がないと続かない人間です。

しかし、無になることはむずかしい。
私の場合、お墓に入ったときかもしれない。
墓場へ行けば、いくらでも寝られるからなーと思い
ついついがんばってしまう。

平常心を心がけたいと思いつつ、まだまだ…

(2005.6.9)


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