卵巣のう腫


私は18歳の時に卵巣のう腫(らんそうのうしゅ)の手術をしました。
卵巣のう腫は、卵巣内に分泌液がたまって腫れてしまうもので
イメージとしては卵巣がぶよぶよした水風船みたいになってしまう感じの病気です。
排卵の機能が低下、もしくは失われます。
良性のものが多いのですが、悪性になると卵巣ガンと言われます。
類皮性のう胞腫、ムチン性のう胞腺腫、漿液性のう胞腺腫の3つの種類に分けられます。
たまる液体によって、種類が分けられています。
私は、良性の漿液性のう胞腺腫でした。
検査結果が出るまで、すごくドキドキしたのを覚えています。
詳しいことを知りたい人は、ネットで「卵巣のう腫」と検索すれば出てくるので、調べてみてくださいね。
図書館に行って調べるのもよいかと思います。

卵巣は通常、梅干くらいの大きさなのですが
18歳で見つかったときは、左が23センチ、右が9センチの大きさでした。
通常6センチ以上になると全摘出の手術をするそうです。
だから、私がもし経産婦ならば卵巣と子宮を摘出と言う感じでした。
産婦人科の看護婦さんに言わせると、妊娠5ヶ月くらいの大きさのお腹でした。

高校卒業後の19歳が間近の18歳の冬
お腹からきた風邪らしく、下痢がひどいので病院へ行きました。
下腹部を触診した時に先生が顔色を変えたのを今でも覚えています。
幸い内科・胃腸科だったので、胃腸用のエコー(超音波)があったので見て見ると
画面に入りきらないほどの大きさの、のう腫が見つかりました。
その時に、私は「薬で小さくなるんですか?」と・・・
先生は苦笑して「そうなったら医学はいいんだけれどね・・」と。
何がなんだか解らなくなりました。
でも、訳がわからない時は泣きもできないんですよ。
傍観してるって言うのかな・・。

そして、母と大学病院の婦人科を受診しました。
大学病院の先生は一刻も早い手術と言われ、頭が真っ白になりました。
私は、内診でパニックになって、エコーを見て訳がわからなくなって
知らない言葉が沢山出てきて、妊婦さんにさりげに白い目で見られて・・・。
私にとって、言いようもない辛さでした。
内診がどんなもんだか知らないから、うひゃ・・。(T_T)
もう、足が震えて涙が出ていました。
内診後にMRIに90分乗っていたときは、ガンガンガンガンと言う音の中で
不安と羞恥心が一杯で、音とともに、なんで…なんで…と頭で繰り返していました。
おまけに腸の動きを止める注射は痛いし、気分が悪いし。
ほろほろほろっ・・と涙が出てきました。

私の卵巣のう腫は兆候が全然なく、頻尿やわぁ・・と言う感じだけで
生理は毎月来ていたし、痛くも痒くもないのです。
小学校6年生くらいの時に、お腹が張ってきたような気がして母に言ったら
「食べ過ぎて太っているだけや〜(笑)」
で終わってしまっていました。
それからもお腹がぽっこりしていたのですが、小学校からだからそれが普通と思っていました。
でも、だんだんお腹が張ってきてをへこませることが出来なくはなっていましたが・・。

風邪もほとんどひかずに病院へ行くのは外科くらいのもの。
小学校の時は、6年間を通して2度ほど38度台の熱を出したことがあるくらい。
高校では1回休んで、皆勤賞は取りのがしましたが、病気はほんとしなかったんです。
だから、卵巣のう腫の発見はできなかったんですね、、。
今とは、ほど遠い健康体です。

大学病院で手術も考えましたが、年末だったためベッドが空いてなかったので
父の知人に頼んでもらい、地元の個人病院の産婦人科で手術をしました。
近所では、とても評判のいい病院の先生でした。
その先生は、温存手術をしてくれました。
左の卵巣は全摘出。右を残すことになりました。子宮も温存しました。
先生に頼んで摘出物の卵巣を見せてもらうと、鶏のもも肉みたいでした。
髪や歯みたいなものとかがありました。分泌物は1.8Lありました。
一升瓶1本分の分泌物にはびっくり感心。
茶色くにごっていて、自分の体にこんなのがあったんだー!
すごいなー! って感心して、看護婦さんに、摘出物を触っていいか聞いたらOKが出たので
卵巣を触っていたら、『医者になったら?(笑)』 なんて冗談を言われました。(笑)
なんか、別の物のように感じていました。

「もし、結婚前検診で婦人科で診察を受けて発見だったなら卵巣は完璧になくなっただろうし
結婚前にエステとか行って、お腹をぐりぐりしてたら破裂していたかもしれない。
卵巣がよじれてしまって、激痛で救急車かもしれなかったし・・間に合ってよかった!! 」
とも看護婦さんに言われました。
手術後、体重は6kg減りました。
お腹がペコンとへこんで、不思議な気分。
出産後ってこんな感じに近いのかな?とか思ったり。
度合いは全然違うんですが、色々と思い巡らしました。
看護婦さんに「体を鍛えてたでしょ?」とも言われました。
筋肉がしっかりしていたので、メスで切りやすかったらしいです。
思春期は、お腹が出ているのをかなり気にして
中学1年から毎日腹筋20回していました。不幸中の幸いかな?

今思うと…
手術後は後々のことなんてとても考えていませんでした。
手術が終わってあぁやれやれ・・って感じ。
全身麻酔から覚めるのがとても辛かったのと
手術後の傷が痛くて痛くて…アタタタって感じ。
布団くらいの重さだけでも、傷にひびいていました。

私がいた病室は、出産する手術室から一番近い部屋だったので
夜中や朝にと…出産があるたびに、家族の嬉しそうな感動の声。
嬉し泣きする祖母さん、祖父さん、父親、兄弟たち。笑顔 安堵 やさしい空気。
手術前は子供を産むっていいなーと感動していたのだけれど
手術後は正反対になって身を切られる気持ち。
自分と比較してしまうんですね。
でも、悲しんでいるのを知られたくなかったから努力して笑顔を作りました。
無理をしているのが、周りは判っていたと思うのだけど
それでも、笑顔を作っていたいと思いました。
友達や恩師の先生のお見舞いは、とても嬉しかった。
人の温かさが身に染みました。
しかし、私は病院食以外禁止だったので
お見舞いのお菓子などは、家族や友達のお腹に入ってしまい悔しかった・・・(^^;

誰も居ない時、ウォークマンでCDを聞きながら、なにげに泣いていました。
気を抜いたら、『つー・・・っ』って涙が出てくるのです。
言葉のないため息。
白いシーツと、しみがちらほらある天井。
無感動なテレビ。
しかしそんな中で、赤ちゃんの無垢な姿に力をもらいました。
赤ちゃんが見れる時間になると、見に行っていました。
手術後は、車椅子に乗って見に行ました。
「好きね〜」と看護婦さんによく笑われました。
赤ちゃんを見ていると、すごく心が温かくなるんです。
赤ちゃんを窓越しに、ニコニコと見ていたら
前の部屋の、最近出産したばかりのお母さんが
「妹か弟 いる?」と聞いてきました。
「はい! 4歳年下の弟と、7歳年下の妹がいます」と言うと
「それだったら いいわ(^^)」
と生まれて間もない赤ちゃんを抱かせてくれたんです。
嬉しかったー!
ぶにぶにで、やわっこくて、こわれそうで・・
でもあの重みは今でも、忘れられない。
希望をくれた重みでした。
そのお母さんは
「私、40歳なんだけれどがんばちゃった(^^)」って(笑)
「あなたも がんばってね! イイこと絶対あるから!」
ってすごくかわいい笑顔で励ましてくれました。
また、そのお母さんは授乳時間に、私を授乳室へも連れて行ってくれました。
5人ほどのお母さんがいて、赤ちゃんの姿を見ていると心が温まりました。
「あららー ばい菌だらけが入っちゃだめ〜〜!! きたない きたない〜☆」って
看護婦さんに見つかって、すぐに放り出されたけれど(笑)
あの、温かい時間はすごく癒されました。
赤ちゃんがかわいいのはもちろんだけれど、出産後のお母さんの顔は
とても高貴で美しく、すごく優しいの。
確かに、入院中で髪もなかなか洗えないし、化粧もしていません。
パジャマ姿だし、会陰切開後なので痔用のドーナツ座蒲団を持っています。
でも私は、一番美しいのは女性は、出産後の女性だと思う位です(^^)

その病院の食堂は、10帖くらいの部屋に大きなテーブルが2つあって
出産前と主産後に分かれて食事をします。
しかし、その時はすごく辛い。
私は、出産前席なんだけれど、出産前に入院している妊婦さんは
大事をとって入院しているとか、母体の状態が悪いとか・・流産しかけたとか・・(T_T)
かなり辛い雰囲気がにじみ出ていました。
…すごく重い空気。
その中に、妊娠2か月から入院している妊婦さんもいらっしゃり
その方とぽつぽつとよく喋りました。
「私ね…10年近くかかってやっと妊娠できたの。
あなたの気持ちはまだ解る方だとと思うんだ。」って声をかけて下さったのがきっかけ。
やっと妊娠して、双子だったそう。
次の年の年賀状で、彼女の無事出産を知った時は、すごく嬉しかったー!
男の子と女の子の双子でした。(^^)
不妊の時の気持ちを、やさしい言葉で教えてくれました。

それに対して、産んだ後席は、明るく、楽しそうで、笑い声が溢れています。
あれほど明暗がはっきり解るのも、あまりないかも・・と思うくらい(^^;
生む前席では、だまーって重苦しい中でご飯を食べるのが多くて
部屋で1人食べたことも何度かあります。。
看護婦さんに「ちょっと部屋で1人で食べたいんですが・・・」と言うと
「いいよ〜」と言って気軽に許してくれましたが、なんとなく言いにくいものでした。

手術後から、基礎体温をつけだしました。
毎日毎日計って、記録して。
退院してからも、月に2回くらいの割合で通院しました。
そのたびに、先生がホルモンの値が悪い悪いといぶかしげな顔。
薬を飲んで、注射して、基礎体温。
「卵が出てない、卵が出てない・・・うーん・・。」
先生は困惑していました。
やっと生理が来たと思ったら「無排卵月経」。
はぁ…と大きなため息を何度もつきました。

そんなこんなの調子だったのですが、退院して
そこそこ元気に1人で外を歩きけるようにになった時
卵巣のう腫を見つけてくれた内科の先生を訪ねました。
内科の先生に
「産婦人科の先生は、子供はできるからね。と言ってくれていたのですが・・・」と言うと
内科の先生がエコーを取り出して私の卵巣を見て
「25歳までに妊娠しないと、可能性はかなり低いなぁー」
それ以降に子供を妊娠できたとしても、母体としてホルモンを保つのが大変になる可能性が高い。」
とはっきり言いました。
( ̄□ ̄;)!!
もう、がんがんがーん!!!!!(火サスな感じ(笑))
ショック。
今、思えば、はっきり聞いていてよかったと思います。
でも、しかし辛い一言でした。
その内科の先生は
「はっきりとしたことを伝えるのが、一患者にとって一番のためだと思うから言った」
とのこと。

23歳くらいから、生理が本当にきにくくなって
それ以降から現在までで1年間で、生理が1度の年もありました。
今は、年に2度くらいです。でも2日くらいで終わってしまうので本格的な生理とは言いがたいかな。
婦人科では、もっと本格的にホルモン治療をすれば、もう少し生理がくるのかもしれないけれど
子供が本格的に欲しくなった時に、治療をしましょう。
との判断。
治療費も結構高くて、保険が利かない項目もあるので2万円くらい財布にいれておかないといけない時もあります。
不妊治療項目に含まれると、一部自費扱いになります。痛い出費…。

結婚してからも、あまりに生理が来なかったのでこちらの産婦人科も受診したのですが
同じように、子供が欲しくなってから考えましょうと言われました。
子供は欲しいです。欲しくないと言ったら嘘。
でも、わからない。
てっちゃんに子供が欲しいかどうかを聞いたら
「どうやろな〜 わかんないな〜」と言ってくれるのでまだそのままです。
てっちゃんの本音は、どうなんろ・・・。
しみじみ、優しいな。

でもやっぱり、婦人科で妊婦さんを見るのはすごく辛い。
待合室で泣いてしまったのも、何度かあります。
そんな時は、看護婦さんがすっと来て別室へ連れて行ってくれるのですが
それまた・・・ありがたいけれど、そんな自分が辛い。
母は1人で病院へ行きなさいと言うので、1人で行っていたけれど・・
内心、母に側に居て欲しかったな。
でも月に2回、病院へ一緒に行くのはなかなかできないものね。

子供ができにくいと結婚前から太鼓判をおされている。
ついそう思う気持ちが、つらかったです。
気にしないでいいんだいいんだと念仏みたいに唱え思いつつ
その倍以上、やっぱり気にしていました。

基礎体温にはかなり詳しくなりました。
基礎体温は、すごく便利で自分の体調を知れるものだと思い
友達の20歳の誕生日プレゼントは、基礎体温計&基礎体温表にしていました。
そして、詳しい解説付きです。(笑)
危険日、安全日、排卵日やの見分け方。
ここは無排卵月経の体温変化
これは排卵がきちんとあった体温変化
と説明していきました。
とても、喜んでくれました(^^)

友達が結婚した時に、基礎体温表を使ってすぐに妊娠したのを聞いたときは
2人でめちゃくちゃ喜びました(^^)
計画的な妊娠、出産は基礎体温でかなりな割合で調節できます。
流産の兆候もわかるの便利です。

私は不妊もどきのつらさみたいなものは、18歳の時から味わい
産婦人科で置いてあった赤ちゃん系の雑誌をなんとなく、毎号読み続けるうちに
不妊の苦しみや悩みは・・・私だけじゃないんだな。と思えたのは手術して2年後くらい。
20歳の時に思いました。

母さんは、子供を持つ楽しみは、もしかしたら味わえないかもしれないけれど
でも、それに代わるものを見つけるのも楽しいかもしれないよ?
自分をもっと育ててごらん?
と言ってくれた時、とても嬉しかった。
その言葉は・・

手術前に
「ごめん・・もう、私、子供が産めないかもしれない。
でも、妹がおるからええやんね。、母さんは、孫を抱けるから女の子を2人産んでよかったね。」
と言ったら
母さんは
「孫が抱きたくてあんたを産んだんじゃないよ。
気がついたらあんたがいた。妹も同じ。2人とも、すごくかわいい。
だからあんたの孫も、妹の孫も同じようにかわいい。
孫が抱けなくてもいい。
そんな体になってもたから、ますます心の底から
あんたが子供を産みいと思う気持ちはすごくわかる。
でもね、あんたは私の子供なの。
だからそんなこと言わんといて・・。
孫を抱きたいと思う気持ちより、あんたかそう思うのがつらい。」
と母がほろほろと泣いてしまいました。
ぼそっと
「きちんと産んであげれんで…ごめん…」と一言。
今、思い出しても、ほろっときてしまいます。
あぁ・・・母さん、、辛いんだ。。
母さんってありがたい。
私は甘えてばかりで、母さんにあたっていたと反省しました。
まだ、自分できちんと物事を受け止めきれないと。
私はしみじみおこちゃまだと痛感した瞬間です。

それから私は、がんばり屋さんの気合度がますます高まった。
しかし…。がんばりすぎて倒れたり、無理して自滅したりと何度もありました。
「なにくそ、なにくそ・・・」泣きながらつぶやいた事が何度となく。
空回りもかなりしていました。かなり無理をしていたんだと思います。
涙なしに寝ない夜がほとんどなかった時期もありました。
泣きながら寝るのが定番だったりしたり。
今思うと、よくあれだけ泣いていたと思いますが・・。

卵巣の手術をした事で同情はされたくない。
かわいそうにと言われるのがすごく嫌。
あぁ…私でなくてよかったと他人から思われたくない。
すごくつぱった考えを持っていました。
でも、そうしないとその時の私は、精神が持たなかった。
すぐに心がくだけてしまいそうになった。

バカみたいだけれど、その時のつらい気持ちだらけの時の私は、尿意を恨んだ。
あぁ・・・体は生きたいんだと。
そう思って、また泣く。
死にたいと言うより、消えてしまいたかった。
子供が産めないかもしれない・・。しみじみ繰り返す私の気持ちが辛かった。
私の小学校1年生の時の将来の夢は「お母さんになること」でした。
きっと、お母さんがすごく好きだったからそう思ったんだと思う。
すごく、甘えたな私です。

だれでも、辛い・苦しいと思う事はあると思う。
人それぞれの重荷はあると思う。
それこそ、ストレスがないのはあり得ない。
誰が辛くて、何がしんどくて、どう行きずまっているかはその人にしかわからない。
でも、自分なりの自己解決と時間。なにより時と忘却っていいなと思う。
ありふれた言葉だけれど
「朝の来ない夜はない」
この言葉に励まされたことも多々ありました。

手術後、あぁ・・・あの人は、元気な卵巣があるんだろうなぁ・・いいなぁ。。
と街ゆく人をみて思うことは何度もありました。
ぽろぽろ言いようもない涙を心で流すことも多かったです。
なんで、私だけ。なんで・・とも。
友達にはこんな悩みは言えないし、理解も難しいと思う。
返答に困る困惑した顔を見るのは、もっと辛い。
葛藤、困惑、迷い、涙。
ぐちゃんぐちゃんな葛藤と戦っていました。

そんな時
エリザベス・キュプラーロス著の「死ぬ瞬間」と言う本を読みました。
ガンを宣告された患者さんと、同じような心の移り変わりをしていたなと思いました…
否認から始まって、受容していく。。
あぁ・・・そうだったのか。と、、
ガンで苦しんでいる人と、私の度合いは全然違うと思うのですが
・・・心にしみました。

卵巣が少し残っているんだったら、子供ができないなんて思わないでいいのでは?
卵巣のう腫でも、子供を3人産んでる人知っているよ?
よくある病気らしいから、考えない方がいいのでは?
と声をかけてくれる優しい知り合いもいました。
でも、私は生理が来ない…と後ろ向き。
これを克服した言葉は「人は人、自分は自分」というありふれた考え方でした。
割り切るとかなり楽になりました。
これも個性かなーって感じで捕らえるまで、随分とかかりました。
それから、やさしい言葉を素直に受け取れるようになりました(^^)
嬉しかったー。

しかし、手術をすると体に無理がきかなくなりました。
基本的体力が年々減ってくるような気がします。
まぁ、年も取るので若いわけにはいかないけれど(笑)
すぐに寝込むし、へたれるし。怠け者と思われる要素も多々あり。
体にメスを入れると、体が弱るのは本当だと思う。
でも、何とかしなければ仕方ないものね。
自分なりのベストを尽くすしかないから。。
自己満足の要素、考察、努力、気合は大事だと思っています。
でもそんな事をいいつつ、だめだめな時はだめだめですが・・。

そんなこんなで、卵巣のう腫手術後のあれこれと付き合ってるのですが
痛くないからね。まだいいかなと思っています。

てっちゃんとの出会いはとても大きいです。
まさか、こんな幸せな結婚ができるとは思っていませんでした。
もし、18歳の手術したときにこうなることを知っていたら
随分楽だっただろうな…としみじみ思います。

最後に…
てっちゃん 色々とありがとう。
これからもよろしくね。
愛しています。

こんなとこで愛の告白を語って何をしてんだか(爆)

長々と読んでくださり、ありがとうございました。m(__)m
(2005.1.30)



© 2003 ふくちゃん & てっちゃん All right reseved.