幸せを感じる時

この「@Homemaker」のサイト運営中に、辛い時期はかなり多い。
正直言うと「サイトを閉鎖してしまおうか?」と思うことも数え切れない。
カウントだけが空しく上がる折に
『どんな感想を持っているのだろう?』と不安になることも。
「@Homemakerの掲示板は書き込みがしにくいのかな?」と思いつつ...
たわいもない雑談や、感想めいたものも欲しくなる。
スパムや迷惑書き込みを掲示板から削除している折、空しい気持ちに苛まれる。

私は、現在の仕事の1つ「お手伝いさん」の仕事先の奥様に「小説」を書くことを強く薦められる。
ちょっとびっくりしたけれど、とても嬉しかった。
奥様との交流を通して、心のあり方を様々な面から更に感じ、考えるようになった。
また、私の心情をぽつぽつ話すうちに、様々なことを教えてくれた。
そして、@HomemakerサイトのHPアドレスを奥様に伝えたら
文章を書くのも上手だと褒めてくれ、「小説」を書くことを強く薦められたのだ。

そして、私自身の性格や物腰を分析し
「コンプレックスの塊で、寂しがりやでガラスの様な壊れやすい心を持っている。」
「だから書くことが向いている」
とも。
コンプレックスがない人は、逆に文章を書けないとも言われた。

奥様は油絵画家の芸術家さん。
奥様は、絵を描くとき
「誰か1人でいいから心に響く絵。そんな一枚の絵を描きたい。」
こんな気持ちで、絵を描くときの取り組む姿勢だそう。
日々の生活で忙しくて絵が描けなくとも、絵を描く心が精神を開放してくれたとも教えてくれた。

私は、奥様の言うことを少し真似する表現になるけれど
「もし、私の文章を読んで誰かの心に響けば、心が軽くなれば、楽しくなればいい。」
そんな気持ちで文章(小説)を書こうと思っている。
できれば「小説家になりたい。」と強く思う。
実は、小学生5年生〜中学3年生の間
「小説家」になりたくて雑文を書いていた。
ノートにつらつらと、イラストを書いたりして楽しんでいた。
一部の友達に読んでもらい、続きを読みたいと言われてどんどん書いた時期もあった。
しかし、時間がかかるし受験も迫っていたので
「とりあえず、今は勉強が大切かな・・・。」と思い、書くことから離れた。
しかし、敬愛する奥様に「書くこと」を薦められ、再度、書く気持ちが芽吹いた。
もう、書くのは遅すぎるかな・・・と思っていたのだけれど
当時とは違う、のどかな熱い気持ちに抱擁されている。

「もしずっと書いていれば、世に本として出せるかもしれない。」
評価されなくとも、私は書きたい気持ちがある。
書く事により「さまよう魂の遠洋航海」が
「好奇心旺盛な宇宙旅行の旅」になるような気がする。
心の中に「どこでも自由に飛んでいける天使の羽」を抱ける気がする。

私は、過去の様々なトラウマと戦い生きている。
「死にたい」という気持ちがより具体化した「消えたい」と言う気持と戦う時もある。
しかし、私のコンプレックスの類は、皆誰もが持つ悩みの類と同じだと思う。
特に、特別なものではない。

自分の過去の「トラウマ」と「現在の自分」の存在の渦の中で
自分の言葉として見つける「発掘作業」を、小説を書く出発かな?と思う。
そのうちに何とかなるかな? と意外に楽天的。
求めても結果は解らないもの。
もし「小説」として存在できなくても、文章を書く作業を私はこよなく溺愛している。
書いているとかなり自己内消化ができ、自分が楽になる。
@Homemakerの中でコラムとして公開してきた延長に似た感じなのかもしれない。

私は、コンプレックスの塊なのだ。
私は、文章を書くことにより、コンプレックスがどんどん昇華してゆく。。
1人パソコンの前で、己自身と直球で対話が出来た時に、昇天する。
孤独を最大の友にする瞬間が、ストレスを軽減しているのかもしれない。
また、孤独が最大の敵となっている時はとても辛辣(しんらつ)な心境に陥るのだ。
孤独が敵になった時は「さみしい病」にとり憑かれ、思考回路が麻痺してしまう。
時間があるときに文章を書き、自分のパソコンのフォルダ内に雑文をコツコツ保存していく作業。
そして、読み返し、書き直し、追加削除の作業。
じっくりと心の中で、自分自身の内と外を同化させる過程を、ほくそ楽しんでいます。
ま、ネタ帳作りみたいなトコ(笑)
まだ、誰にも公開していない。
それがまとまる時、なにかしらの物語になったらいいな、と渇望する。
その中で、決心していることは「自分探しをしない!」こと。
それは奥様から言われたことで、歳を経ても自分は見つからないからと。
人間は様々な状況・環境で変わって行き、そして成長していくし傷もつくから自分は定まらないと。
だから、私はそう思う。

「何もない平坦な人生を送った人は、かなり少ないだろうな。」
私は、そう思うのだ。
寂しくない夜、眠れない夜を過ごした人は皆無だと思う。
ホロリと涙を流し、眠れぬ夜を過ごし、家族の愛と自分エゴの狭間で苦しむ思春期。
人を愛し愛されることを知り、そして「愛のナイフ」で心を刺される。
幸せだと思った瞬間、次の何かがやってくる日常生活。
安穏とした幸せは、怠惰な欲望の渦に巻を作り、苦しみも与えることがあるかなと。

私は、実際にそう感じることが多かったのだ。
「あぁ…幸せだな。今の瞬間は。」
と心から湧き出るように思ったのは、記憶している限り31歳まで生きてきて3度かな。

一度目は、小学1年生の時、透き通る青い空を見ていたとき。
「あぁ….幸せだなぁ。」と心から湧き出る感動に出会った。
しかしこの心の裏に、小学1年生がスタートしたばかりの精神が不安定な時期で
やんちゃな男の子にスカートをめくられ、たわいもない学校生活が嫌だった。
そして「あおい そら   しろい くも …」など面白くもなんともない国語の詩の授業を受け
「あ」「い」「う」・・・とひらがなの練習。つまらなくて嫌気がさしていた。
私は小さいころから絵本が好きで4歳になると黙読をし、簡単な絵本は1人で読んでいた。
母が毎夜、絵本を読んでくれていたおかげで、気がついたら字は覚えていた。
小学校に入る前にひらがなは覚え書けるようになっていた。
母がひらがなや数字の書き方を保育園の時から遊び感覚で教えてくれた。

小学校がほとほと嫌になっていたある日
母に「あと、どれだけ学校に行くの?」と聞いた。
「小学校が6年間、中学校が3年間、高校が3年間あって、その先には大学がある。」
と教えられ、学校生活を考えるとぞっとした。

そんな折、いつものように学校から帰宅し、靴下を脱ぎ捨て、素足で公園へ小走り向かい
喜び勇んで、いつもの公園へ遊びに行った。
しかし、珍しく誰も友達がいない公園。
ガッカリ。

素足で遊んでいたのは、靴・靴下を履さない母の教育方針。
「子供は裸足で遊ぶ!」だった。
ガラスや小石で足を何度も切ったけれど、それでも靴と靴下は嫌になっていた。
きっと、素足の感覚が気持ちよかったからだろうな。
まるで原住民みたいだね(笑)
しかし、自然と足の裏を通じて対話していたと思う。
今となっては、貴重な経験かな。

ガッカリした気持ちで、ふと空を見上げると
透き通るように青くて美しく、飛行機雲がどんどん伸びる青空のパノラマが展開していた。
今でも、思い出すときがあるくらいキレイな空。
『なんてキレイ! 私は雲になりたい。』
感動して涙が出そうになったのを記憶している。
そして、「神様っているのかな?」と初めて思った瞬間でもある。
キレイな空に感化され、6歳の私は「神」の存在を意識した。
半袖のTシャツが少し肌寒い季節だったので、5月頃だったかな。

二度目は、大学生の時、山の様に小説とマンガを買ってきて積み上げてひたすら読んでいたとき
「あぁ…幸せだなぁ。」と感じた。
金額にして2万円近くの本をドカンと本屋さんで衝動買いをした。

大学生活でかなりストレスを感じ、心底リフレッシュしたかった。
ありったけのお金を握り締め本屋さんへ駆け込むのが私の大きなストレス解消の1つ。
前々から読みたいと思った小説やマンガを、一気に本屋さんで買った。
小説を4冊連続で読み終え、マンガも26冊一気に読んだ。
季節は11月頃の、小春日和だったかな。ちょっと風が冷たかった。
読み疲れ、目がしょぼしょぼし、空が夕闇に包まれた頃
「あぁ….幸せだな。」とじっくりとひたむきに感じた。

三度目は結婚してから。
結婚生活も軌道にのってきたけれど、空虚感に心が支配された。
専業主婦として、何かしら物足りなさを感じてきた頃だった。
自分の存在意義を感じたかったけれど、ぽっかりしていた。
あまりにイライラがつのったので、マニアック掃除を決行した。
1つ条件を自分に提示した。
『ゴシゴシとこする事は一切しない!』

エタノール・キッチンハイター・酢・合成洗剤・バス用洗剤・トイレ用洗剤・重曹・塩・砂糖・油など
家にあるありとあらゆる調味料・洗剤・薬品関係を使っての掃除を試みた。
化学関係の本、毒物劇物関係の本などを開き、化学反応を考え
酸と塩基の反応・熱と水の対流の利用・電子レンジのマイクロ波を利用し
誰も考えないような掃除方法を考え、試みる。
旦那ちゃんの残業が続く日々だったので、何かに没頭し逃避したかったのだ。
対象は何でもよかった。
しかし、専業主婦なので自由になるお金はそんなにないと言う条件が、絶対王政の様に私の頭上に君臨していた。
昔、趣味で取得した、「毒物劇物取扱者」の資格の知識が役に立つのは意外だったな...。

「一切こすることをしない掃除」となると、化学反応を最大限に利用するのが吉と考えた。
家にある物を使っての実験演習の連続。
結果は、キッチンハイターに入っている塩素のアルカリを利用するのが一番手軽で難しいことだと感じた。
底値で1本100円未満のキッチンハイター。だか最強の我が家の洗剤No.1。
アルカリは強力に汚れを溶かす。しかしとても人体には有害な部類。
塩素としてキッチンハイターを利用するので、マスクと手袋、ゴーグル代わりに眼鏡をしっかり着用して汚れへの挑戦!
塩素使用とほぼ同じものと想定して、換気は十分にする。家の窓を全開・換気扇をフル活用。
服も塩素がついてもいいように、汚れてもいい服+長袖を着用。
さすがに白衣を着ることまではしなかったが、近しい状態となる。
髪に塩素がつかないよう後ろでたばね、後れ毛はピンで止めた。
更に、バンダナで髪を固定し、視界をさえぎらないようにして戦闘態勢は万全!
「いざ〜 挑め〜〜!」と色々な試行錯誤を繰り返す。
だんだん体の芯から「あぁ…幸せだな。」と心からこみ上げてくる。

私の場合「あぁ…幸せだな。」と心底思うのは
自分が何かに悩みしんどく辛いとき、すごく夢中になれる「何か」を見つけたときだと感じている。
だから安穏とした中では、どこか物足りないも自分がいるとも思う。
安定した中では満足せず、その中で刺激を求め、そして安定を求める。
もどかしさと自分を天秤棒にかけ、ノラリクラリと悩み始める自分がいる。
そしてその時こそ、幸せを噛みしめる種があると、私は思う。


(2005.6.5)


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