幸せ恐怖症

幸せ恐怖症のことを読み、納得する私。
皆さんは、幸せ恐怖症のことを聞いたことがあるかしら?

  
世の中に幸せ恐怖症の人がいる。幸せになることが恐い人だ。

「そんな馬鹿な」と思うだろうが、幸せな時にふと不安になったり
「この幸せがなくなったら」とか思うことは、誰しもあるのではないか?
それが酷くなると「幸せ恐怖症」になるのだ。

それはだいたいその人に不幸な生い立ちが関係あって
たとえば子供の頃に良いことをしても親が褒めてくれないで
「上には上がある」みたいなことを言っていたり、すぐ欠点の話になったりして
「十分に喜ぶ」ということを経験していないことが原因らしい。

幸せ恐怖症の人は、幸せが素直に喜べない。
なぜなら、それを失った時のショックが恐いからだ。
また、幸せが恐い(だから「幸せ恐怖症」だ)。
幸せになればなるほど、不安になる。
なので、時々わざと不幸になったりして安心する。

だから、幸せ恐怖症の人は幸せにしてはいけない。
だんだん引かれてしまう。
幸せ恐怖症の人は、幸せにすることよりも、不幸を減らしてあげる方が良いのだ。
不幸が減れば、だんだん幸せが怖くなくなって来る。
幸せ恐怖症の人は不幸が気になるので
いくら幸せにしたところで、不幸があると安心できない
(by
 おごちゃん


なるほど。
この文章を、読んだ時に すごーく納得してしまったのだ。
ちょっと知っていると、人と人がつきあう時の自分なりの心の持ちよう、線引きが楽になるかもとも思った。
もし、悩んでいる人がいたとしても
その人を助けてあげる力がなかったら、共倒れになる。
そして、何をしてあげれるのかな...?
と思ったときに、幸せ恐怖症の人だったと知ってしたら
ちょっと不幸を減らしてあげる気持ち。でいるほうが楽だろうと。

私は、「幸せ恐怖症」だと、自分自身で思い当たるふしがかなりある。
幸せな状況だと、どこか不安になってしまう。
このまま続くといいけれど、もしかして・・・・と。
実際私は、親に褒められた記憶がちょっと少ないのも原因があるのだと上の文を読んで納得した。。             
褒める母親ではなかったから。
しかし、その分 母方の祖母が、すごく褒めてくれた。
だから、まだ救われていると思う。
母方の祖母がいなかったら、私の人生は全く違っていたと思う。
まっとうに結婚できていなかったと思うくらい....。

その中でも私を一番褒めてくれるのは、旦那のてっちゃんだと思う。
私は、随分と楽になった。
追い立てて、何とかしなくては…。という気持ちが減った。
「何とかする。何とかならない時は何とかする。」
それに加えて
「なんとかならない時は、諦める。逃げる。投げる。」
が加わった(笑)
もともとがんばり屋気質が強かったので、落ち込みも大きかった私。
だから、気負わなくてもいいんだと。楽になった。
これは、幸せ恐怖症で、幸せになりたいけれど
自分で思っているだけかもしれないけれど、つらい時期がが多かったから
幸せな時期が怖いと言うのがあるのかもしれない。
でも、のんびりとした気分で暮らすようになってから
生活を楽しむようになったし、楽になった。
何より、憶測で悲観的に考えなくなったのが楽。
なんとかなるさ〜♪ と素直に思えるようになった。
何とかなるさ〜♪ 命までは取りにこない〜♪
と思っていると、何とかなるようになった。
だから、不安を消してくれたという意味では、てっちゃんが立役者だろう。

人の記憶力は、どんどんと薄れていくもの。
色々と嫌なことがあっても、少しはいいことも残っている。
その少しのいいことを見つけたときに、嬉しくなるし楽になる。
自分を楽にしてあげる方法って、難しいけれど
笑えることがたくさんあると、楽になっている。
幸せ恐怖症を脱却するのは、難しいかもしれない。

幸せ恐怖症の人は。不安があるほうが、がんばれる原動力にもなると考えて
思考をどう切り替えるかになるのかもしれないな。
あと、自分が幸せ恐怖症だと自覚するのが楽になるのかもしれない。

でも、人の生い立ちとかが関わっていることは難しい問題。
トラウマとか....心理学、精神学にも関わってくるから
プロに頼まないと、どうにもこうにもならない状況もある。
「ごめんなさい。私はここまでしかできません。」とはっきり心で決めるのも大事。
相手によりけりで、どこまで自分の内側を伝えるのは難しいけれど・・。
線引きがないと、ずるずる行ってしまうもの。自分もつらい。
感受性が強い人は、ちょっと苦労をしてしまうのかもしれないなぁ。(+_+)

しかし、「幸せ恐怖症」って、だれもが チョットは持っていることかも知れないと思うのだ。


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