「忘れる」尊さ

人間には素晴らしい能力がたくさんある。
その1つとして
私は「忘れる」と言うことはとても素晴らしいと思う。

母の死も、ずっとパソコンのように記憶するなら
ずっとずっと辛いことだろう。
一生泣いていなければいけない。
しかし「忘れる」作業を繰り返し、母が私の心にいる。
色々な腹の立つことがあっても、「忘れる」から
人間、なんとか生きていれるのだと思う。
「忘れる」ことが出来ないなら、自殺者は増えるだろう。

「忘れる」作業で洗い、大切なことをそっと心に残す。
それが珠玉のものだったり、嫌なものなり色々だけれど
私についていえば、だんだん「いい思い出」になる感じ。
腹の立つことがあっても、「いい思い出」もある。
たとえば失恋にしても、相手に対して色々な想いがあり
「忘れる」れることができても
「思い出」になるまで時間はかかる。

私はとある一件でとても苦しい思いがあった。
Before Afterで言うなら、Beforeのほうがよかった。
Afterが最悪と言う感じだからたちが悪い。
様々なことで、絶望している。
まさに「洗い流し」の作業を日々、繰り返している。
日々、違った答えが出、新しい自分がいる。
でも、その「時間薬」はいささか苦い。

ある事実があり、そのことは致し方ない。
「〜たら」だけでは解決しない。
事実は曲げれないし、過去のことだ。
そのAfterが大事なのだ。
それが、最悪だったから辛いこととなっている。
”そんな人とは思いもよらなかった!”
と言う事実。
信じていただけに裏切り感が増幅している。
日々、裏切り感や失望感が増大し
過去のいい思い出さえも、色あせてしまう。
”信用しなければよかった”。
逆に、「信頼感」の大切さも身をもって感じている。
「信頼」は時間がかかってできるものだけれど
「裏切り」は一瞬で、がらがらと崩れてゆく。

今回は、私の素直さと、天真爛漫さが裏目に出た。
人を見る目が足りなかったとも反省している。
相手に迷惑をかけた自分がいることも内省している。
この教訓を闇に葬るのはもったいないなとも思う。
自分の中で消化し、吸収し糧にしなくては、と思うけれど
その過程は時間を必要とし
自分の内面と、しっかりと向き合うことになる。
独りよがりにならないよう、他者を必要ともする。
心痛める作業を繰り返す。
そして癒え受容できていくと思う。

「知る」と言うことは辛いことだとも、痛感している。
そして「忘れる」と言うことがワンセットだから
人間、よくできたものだな〜とも思う。

もしかしたら、今後、進展があるのかもしれないけれど
一度幕を閉じたから、第二幕の始まりになる。
でも、第一幕を、すべて「忘れる」こともできない。
感慨深い「何か」が残っている。

「時間薬」によって、癒され発見があるのだから
すべて未来を決めれないし、否定もできない。
未来がわからないから夢がある。
未来は夢であり解らないから素晴らしい。
雑多な日常も、未来の一歩一歩だし現実だ。
そこには「運」や「縁」と言うものがあり、彩を添える。
そして、自己責任とともに、自分で一歩一歩進む。
葛藤や軋轢に苦しみ、「何か」を発見する。
そして「何か」を見つける作業の中にも「何か」がある。
その中に「忘れる」尊さが君臨する。

今私は、感謝する気持ちが芽生えている。
私を取り囲む色々が、助けてくれている。
「恨んでいても、何も益はない」と実感している。
少しだけだけれど「何か」を見つけつつあると思う。
学習し、同じ事を繰り返えさないようにしたい。
生きていてよかったと思える「種」があると信じたい。

(2005.10.5)